前回のブログにも書きましたが、大切な大切なピン止めが昨日、玄関の荷物を整理していたら
見つかりました。一瞬、あんなに探して探してそれでも諦め切れなくて、行った場所の
落し物係を全て訪ねて、それでも無くて、やっと諦める事が出来たのですが、
ずっと、悲しみは続いていたので、ピンがぽろっと物の中から落ちて来た時には
一瞬、目を疑い、夢じゃないかと思ってしまいました。
その後、暫く放心状態になり、徐々に物凄い喜び‼嬉しさが爆発して、何度も何度も
見つかったピンを見て、私から無くならないでいてくれた事に深く感謝しました。
その後、大きな感動が押し寄せて来て、とても幸せな気持ちになりました。
実はこのピンを失くしてしまったのは3回目なのですが、普通なら、もう見つからないはずと
言って良い程なのですが、必ず私の元に戻って来てくれました。
ピン、一本でこんなに心が大きく動くなんて‼
私にとっては、本当に本当に大切な大切な宝物なのです。
昨日は嬉しくて嬉しくて眠れない程でした(❁´◡`❁)
本当に私の元に戻って来てくれてありがとう❤️❤️😊💕


コメント
コメント一覧 (1件)
伊東静雄の詩に『曠野の歌』という作品がある。詩の全体は、例えば真っ暗な舞台の真ん中で、一本のスポットライトを浴びて立ち、訥々と朗読するような印象だ。
この詩の最後の方に「泉は笑い」というフレーズが出てくる。いたく気に入った比喩だ。泉は笑うのか。こんな風景が浮かんでくる。誰もいない山の頂の近くから、眼下に広がる森を遥か見つめている。森の間に小さな泉。樹々を渡ってきた風が水面にさざ波を立てている。太陽の光がそそぎ、人知れずきらきらと金や銀に輝かせている。泉にどんな嬉しいことがあったのだろうか。どんな幸福なことがあったのだろうかと、子供のような空想がわく。
嬉しいことがあって微笑むということは、人知れずとも、水面の輝きのようにきっと美しいに違いない。