昨日、家族皆で宮沢賢治さんの「銀河鉄道の夜」の物語で伝えたかった事を中心に、どのようにして
この物語が生まれたのかを宮沢賢治さんの出身地である、岩手県花巻市の関係が深い個所を取材
しながら宮沢賢治さんがどのような人生を生きて来られたのかを知ることが出来るドキュメンタリー番組
を見ました。「銀河鉄道の夜」は、学生の頃読みましたが、全く意味が分からず、賢治さんが、いったい、
何を伝えたかったのかがわからずに大人になってしまった今、昨日のドキュメンタリーで初めて、賢治さんが
読者に何を伝えたかったのかがわかりました。物語の中心は弱気で孤独な少年ジョバンニと親友の
カンパネルラが銀河鉄道で天の川に沿って南十字に向かう銀河の旅です。この鉄道の不思議な乗客達は
天上に向かう死者たちであることが示唆されますが、死者たちの口からは「本当に辛い」について
繰り返し語られ、ジョバンニもまた、何がみんなにとって本当に辛いのかを考え始ます。
親友のカンパネルラと一緒に銀河の旅を楽しんでいたはずなのに、気が付くとカンパネルラの
姿が無く、カンパネルラは川に落ちて亡くなっていたのです。美しいいくつかの銀河の世界を
旅しながら、大切な人の死を悲しむ辛さも描いていたことに初めて、このドキュメンタリーで
知ることが出来ました。去年、家族で「銀河鉄道のよる」を見たのですが、その時は、まだ、
良く、本当の意味が分かっていなった自分が恥ずかしくなりました。
実際に賢治さんは実の妹さんを24歳の若さで亡くされるという、耐えがたい悲しみと苦しみを
体験されていて、亡くなられた妹さんとカンパネルラを重ねていたのかもしれないと、解説者の方が
お話しされていましたが、大切な人の死ほど悲しく苦しい事はないと思います。
賢治さんは「世界中の人が幸せでなければ、自分の幸せではない」と考えられていたそうです。
その思いと大切な人を失った深い悲しみを銀河鉄道に乗せて、「本当の幸せを探し、一人でも
多くの人に本当の幸せを探して欲しかったのだろうという見解もあります。
人々の本当の幸せを願いながら、自分自身も妹さんと同じ結核で37歳
という短い生涯を終えた事も、昨日のドキュメンタリーで知りました。
人々の幸せを願って、自分の身を削るように働いて、病に倒れ若くしてこの世を去られた
賢治さんの作品をもっと読みたいです。明日は賢治さんの他の作品についてもブログを書きたいと
思います。
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