何故か、急にのりちゃんの事を思い出しました。母と横浜の団地に住んでいた頃、1階に住んでいた
のりちゃんは、とても良い人でした。母が亡くなり、私は団地を出る事になり一人で引っ越しの荷造り
をすることになりました。母と楽しく暮らした部屋で一人で荷造りをするのは、とても辛かったです。
段ボールが足りなくなり、夜の9時半頃、一人で段ボールを抱えて歩いていると、のりちゃんに会いました。
のりちゃんは私に駆け寄って来て、「お母さんの事聞いたよ。大丈夫!辛かったね!今日は家に泊まりな!
少なくとも3日間は内に泊まらなきゃ駄目だよ‼」と言われました。私は「申し訳ないので大丈夫です。」と
断ると、「ゆみちゃん駄目だよ!絶対に駄目!ゆみちゃんは5階に住んでいるのだから飛び降りちゃう
でしょ!」と間髪入れずにのりちゃんは言いました。
私はのりちゃんの優しさに甘えて泊めて貰う事にしました。
コタツで二人で寝て、朝が来て、のりちゃんにベランダから「ゆみちゃんちょっと来てみな!」と言われ、
ベランダに行くと「ゆみちゃん、飛び降りたかったら飛び降りていいよ!でもここ1階だから死ねないけどね!」
と言って、のりちゃんは大笑いしました。のりちゃんは調理師免許を持っていて、朝ごはんから昼ご飯、
夕ご飯までご馳走してくれました。初日の夕飯はのりちゃんの友人の家で鍋パーティーをしました。
私が母の事で悲しむ時間を少しでも減らしてあげようと急遽、鍋パーティーをしてくれました。
のりちゃんの優しさが身に沁みました。引っ越しの荷作りをする為に団地に戻って来たのですが、日中は、
のりちゃんの友人も呼んで、終日、お茶をしながら過ごしました。のりちゃんの言っていた3日間が過ぎ
私は5階の自分の部屋に戻りましたが、翌日の朝、7時頃、ピンポーンと鳴ったので、出ると、のりちゃんが
立っていて、「今、肉を焼いているから、直ぐに来な!」と言われ、行くともうすでにのりちゃんの友人が
いて、お肉パーティーが始まり、その日も終日、のりちゃんの部屋で過ごしました。のりちゃんは私を一人に
しない様に一生懸命だったのだと思います。夜の10時頃になり、自分の部屋に戻り、次の日また、朝の7時頃
ピンポーンと鳴り、のりちゃんが立っていました。「今、クリームシチューを作っているから、一番大きな鍋を
持って家に来な!」と言われ、鍋を持って行くとクリームシチューのいい匂いがして、「今日はこれを友人達と
食べるから、ゆみちゃんが帰る時、鍋に入れてあげるからね!」と優しくのりちゃんは言いました。
その日も、夜の10時頃、自分の部屋に戻りました。翌日、やはり、朝の7時頃にのりちゃんは「お茶しに
来な!」と誘て来ましたが、今日は引っ越しの荷作りをしたいからと断ると、「今日は早く返すから来な!」
と言われ、行くといつもの様にのりちゃんと友人達とお茶会が始まりました。「のりちゃん、今日は早めに
帰るね!」と夕方の6時頃に言うと「ゆみちゃんの好きなお赤飯をこれから炊くから出来上がるまで居な!」
と言われ、私はまた甘えてしまいました。お赤飯はささげを茹でて、そのゆで汁にもち米を浸し蒸すまでの
時間を考えると蒸し器で作るお赤飯は4時間から5時間はかかります。お赤飯が出来上がるのは早くて夜の
10時頃です。のりちゃんは本当に私を一人にすると5階から飛び降りてしまうと心配してくれていたのです。
のりちゃんは私が引っ越しの荷作りをする為に帰った10日間の間、寝る時以外は私を一人にしませんでした。
のりちゃんと一緒にいた時間は本当にいろいろな話をしました。のりちゃんは私に「ゆみちゃんだけの花を
咲かせなきゃ駄目だよ‼」と何度も言ってくれました。私は母を失った喪失感で花って何だろう⁈とよく理解が
出来ませんでしたが、今も鮮明にその言葉が心に浮かんできます。その頃のりちゃんもうつ病を患っていました。
のりちゃんの手首を見るとリストカットの傷跡がいくつかあり、自分も辛いのに私の事を心配して、いろいろ
気を遣ってくれたのだなぁ!と思いました。私とのりちゃんはお互いをうつ病仲間と呼び合いました。
のりちゃんの部屋は物があまりというか全然ありませんでした。あったのはガスコンロとお鍋とほんの少しの
食器とコタツだけでした。ちょっと不思議に思った私は「のりちゃん、どうして物が全然ないの⁈」と聞くと
「テレビと電子レンジは彼氏にあげて、後は必要ないから。だって死んだら物は持ってゆけないでしょ!」
と言って笑いました。湯沸かし器も無くて真冬なのに水で髪を洗っていたのりちゃん。
のりちゃんは自分では全く贅沢というか、最低限の必要な物も買わずに、人の為にお金を一杯使って、
それでも、いつも心が満たされているようにニコニコと笑っていました。
それから、数か月後、私は川崎に引っ越しました。さっそくのりちゃんから「友人を誘って遊びに行くから
駅まで迎えに来て!」と連絡がありました。引っ越して来たばかりの私はまだ、段ボールに囲まれた生活
をしていたので、「もう少し部屋が片付く迄、待って!」と言って、何度かのりちゃんが遊びに来ることを
断っていました。そんなある日、のりちゃんの友人から電話があり「のり子、死んだよ。自殺じゃなくて
病気だったらしいよ。」と聞いて、呆然としました。何故、のりちゃんがあんなに何度も遊びに行くよと
言ってくれたのに、段ボールだらけでも家に呼ばなかったのだろう! あんなに良くしてもらって、あんなに
お世話になったのに、後悔しかありませんでした。「死んだら、物は持ってゆけないから!」と言っていた
のりちゃんは自分の死期が近い事を知っていたのでしょうか⁉ あれから何年も経ちますが、いまだに
のりちゃんの事は忘れる事はありません。何かの折に必ず「ゆみちゃん、自分だけの花を咲かせようよ‼」と
何度も何度も言ってくれたのりちゃんの事を思い出します。 言われた時はピンと来ませんでしたが
今ならのりちゃんが言ってくれた言葉の意味が分かります。
「自分だけの花、咲かせます‼」 今は天国に居るのりちゃん‼ 一生懸命の真心をどうもありがとう‼
のりちゃんが、今、天国で幸せでありますように‼


コメント
コメント一覧 (2件)
こんにちは!
人は長い間生きていると楽しい事や寂しい事、嫌な事いっぱいあると
思います。だからこそ生きていて楽しいのだと私は思っています
のりちゃんの分まで一生懸命生きることが何よりの供養だと思いますよ
のりちゃんの話を読んで下さり、本当にありがとうございます。
コメントも頂けて本当に嬉しいです。本当ですね。人は長い間生きていると、楽しい事も、悲しい事も寂しい事も、いろいろな場面に遭遇しますが、それでも頑張って生きて行きたいと思います。