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能登半島地震から1年7か月が経ちました 2025年8月4日月曜日

今年の8月で能登半島地震から1年と7か月が経ちますが、被災地の今は、人出不足や人口減少などがあり

復興も思うように進まない状態であるとの事です。昨日、動画で、被災地に住んでいた5歳の男の子がお餅を

焼こうとして、コンロに火を付けた瞬間に地震が来て、その反動でコンロの隣にあった熱湯が体にかかり

男の子のお母さんは急いで毛布で男の子を包み、病院へと駆け付けました。しかし、病院は怪我をした

人達で一杯で、男の子は朝まで診て貰えずに、お母さんの腕の中で息を引き取ったという事実を知り、

大変、胸が痛みました。ですが、この事実をこれは仕方がなかった事だと、皆、亡くなった男の子の

事は口には出さずにいたという事実も知り、何故だろう?と疑問に思いました。そんな中、皇室である

愛子様(日本赤十字社「事業局パートナーシップ推進部ボランティア活動推進室青少年ボランティア課」

に所属されています)が、この5歳の亡くなった男の子の死に重さを感じられ、何故、人々は口を閉ざして

いるのか、この事実をなかった事にしてはいけないと思われ、亡くなった男の子のお母さんに直接、会って

お話を聞く事になりました。亡くなった男の子とお母さんの計り知れない悲しみと苦しみ、愛子様は包み込む

ようにお母さんの話に聞き入り、さらに、男の子はどんな子供でしたか?何が好きでしたか?とお母さんに

問いかけます。とても優しい子供でスーパーで制服を着ている人を見ると「お仕事お疲れ様」と全く知らない

人にも言っていたそうです。お餅を焼く前に「お餅を食べたら、凧揚げしに行こうね」と言っていたそうです。

男の子のお母さんにいろいろなお話を聞いた愛子様は「この悲しい出来事を決して忘れず語り継いでいきたいと

思っています」とおしゃられたそうです。男の子のお母さんも愛子様と話す事で、少しでも心の苦しみが救われる

事があったなら良いと思いました。たった5歳の男の子、どんなに熱かっただろう‼どんなに痛かっただろう‼

と考えると、毎日、暑い日が続き、「暑い!暑い!」とつい口にしてしまいますが、この事実を知ってからは、

私の気持ちにも少し変化がありました。

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この記事を書いた人

私は就労継続支援B型事業所のケイエスガードに通っています。
毎日、同じ日はない位、自分次第でITに関することを学べます。
学ぶ事の面白さを感じながら自分のペースで進めていけるところが
とても魅力です。ITの知識が全くなくても少しずづ前に進んでいける
所です。

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